田辺 剛という漫画家さんをご存じでしょうか。
クトゥルフ神話を題材にした書籍は様々ありますが、とっつきやすいコミックではまず最初にオススメしたいのが『狂気の山脈にて』です。
『狂気の山脈にて』85年の時を超えた大作
『狂気の山脈にて』85年の時を超えた大作
田辺 剛先生が2016年にハワード・フィリップス・ラブクラフトの原作をリメイクした作品です。
この方は元々、ラブクラフト作品のリメイクシリーズを出し続けています。『狂気の山脈にて』は1931年に執筆された小説で、85年の時を経て見事な画力で物語が復活しました。
ラブクラフトファンの間では有名なようですが、この小説は長編でありながらわずか一ヶ月で書き上げられたのだそうです。
文字に書き起こすまで、ずっと練り上げられた構想があったのでしょう。
小説家の想像力はさすが!と言ったところですが、陰秘学大好き、陰謀論大好きな一部のマニアは「本当にあったことを元に描いたのでは…」と世界観にどっぷり浸かっているのだとか。
「まさか! 高さ34,000フィート(約10,363メートル)に達する山脈があるわけがない。エベレストを超える標高なら地図に書かれているはずだし、今はグーグルアースで普通に見れるじゃん」
大家の常か、ラブクラフトの作品は生きている間にあまり評価されませんでした。
没後、オーガスト・ダーレスなど友人達が影響されて、神話体系化され、有名になっていった経緯があります。
このあたりに、読んですぐには気づかない部分があり、「あれ? ひょっとして…」と深読みしまくるコアなファンが出てきたのでしょう。
表題にもなっている狂気山脈は標高としての表記が読者に提示されています。しかし、海底から計測したら高さが一致する地域がある…つまり標高(海抜高度:海面からの高さ)ではなく純粋な垂直距離を(本心では)書きたかったのではないか。気付ける人だけ気付けばいい。そうしたオカルティックな憶測や深読みができるのもラブクラフト作品の人気たる所以です。
ちなみに南極の氷床は4,000mを超える場所もあるので、海底でなくとも地表から計算すれば6,000m級ということでエベレストよりもかなり低くなります。
「わざとボヤかした部分がある」
「いくつかの真実が織り交ぜてあったのではないか」
強烈なモンスターばかりが目立つクトゥルフ神話ですが、ありえそうなリアリティの中に作品から現実世界へと移行してくる楽しみを見出すファンが多くいるのも頷けます。
『狂気の山脈にて』概要
レイク隊は「驚くべき発見」の打電をしながら観測したこともないほど強烈な大風が発生した後で連絡を絶ってしまっていたのだ。
あの大風の被害は甚大だった。
氷粒の渦をともない、狂ったように吹き荒れた嵐によりレイク隊は全滅した。
…そう思っていたのだが…。
『狂気の山脈にて』第一巻 冒頭より
ミスカトニック大学南極遠征隊が南極で見たもの。
黒々と横たわる巨大な山脈を前に、繰り広げられる戦慄の物語です。
広大でありながら一種の閉鎖空間である南極を舞台にしたコズミックホラーになります。
これだけ聞くと、映画『遊星からの物体X』あたりを思い出す人がいるかもしれませんが、毛色はまったく異なります。
映画と比較するのも見当違いですが、アクションの派手さ、誰が物体Xなのか分からないというドキドキ感に対して、『狂気の山脈にて』は異種族の歴史を紐解きながら真実に近づいていくという要素が肝。
太古の地球から息づいていた者達にしてみれば、数千年しか語ることのない人間の存在など、つい最近になって出てきたちっぽけなものでしょう。
そういう意味では知的で、静かな恐ろしさがじわりとくる。そんな作品です。
なお、『エルドリッチホラー(ELDRITCH HORROR)』の中でも拡張セットとして出されています。
ユニーク助力カードの中にはウィリアム・ダイアー教授や助手のダンフォースが出てくるので、読んだことのある人には「ダンフォース、今回は帰還後も…」といったifも体験できれば、作品を追体験まで出来るというクトゥルフファンには嬉しい内容になっていました。
南極のサイドボードでは、実際に「レイクのキャンプ」とか出てきますからね。
「あの本で読んだ場所に俺は今、立っている!」と思うと、興奮度が違います。
『狂気の山脈にて』感想
クトゥルフ神話好き、『エルドリッチホラー(ELDRITCH HORROR)』を楽しむ人はぜひとも読んで頂きたい作品ですが、そうでなくても普通の書籍として楽しめます。
個人的には単なるホラーではない深みがあり、知的好奇心を満足させてくれる作品と思います。
本家の小説も面白かったですが、この作品を描ききる上での田辺先生の画力も凄い。
加えて時代背景など、小説を読んでいた時にぼんやりしていた風景が「こんな感じだったのか」と納得させてくれる映像化に仕上がっています。
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